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展覧会

開幕まで 残り46日 絵画

大槻 睦子 個展

基本情報

  • 会期
    2026年05月26日(火) 〜 2026年05月31日(日)
  • 会場
    1階
  • 時間
    12:00~19:00(最終日~17:00)

化身   金 時鐘

かりに蛹から抜けきれなかった蝶がいたとして
小枝でそのまま乾いているとしても
翅はしだいに半身のまま風となれ合っていき
あたりに飛翔を花粉のように引き散らしながら
葉うらのあわいでさらされているだろう

だから蝶のかけらは
もはや蝶であることを願おうとはしない
舞いも装いもすべては自ら手放してしまったものだ
揺れるがままにそこのところで在りつづけ
ただただ己れの入定を見つづけようとする

威儀を正した標本の陳列からも
子どもがかざす捕虫網の情緒からさえも
飛翔の化身はかたくなに口をつぐみ
ひたすら蝶でありえたことでのみ干からびていくのだ
音ひとつ ふるわせない
脱殻のまま
(詩集『化石の夏』より)


祖母が亡くなる少し前、つぶやくのを聞いた。
 「牛や馬にだけは生まれ変わりたくない」
 それは私にとっては現実味の無い言葉だったが、その時の祖母の表情とともに深く心に残された。大人になって本を読み、映画やドキュメンタリーを見ているうちに祖母の言葉を次第に理解できるようになった。自動車もトラックもユンボも無かった頃、人は牛や馬の力に頼って生活していた。物言わぬ優しい生き物は、黙々と過酷な労働に耐えて生き、死んでいった。祖母の生きた時代は確かにそんな時代だったのだ。
 女たちについても考える。貧しさのために、あるいは戦争のために売られた遊女の平均寿命はなんと18歳だったと聞く。病気になれば新しい娘を調達する。女たちもまた物のように扱われていた。
 私が出会う乗馬クラブの馬たちは健康で、わがままも言う。若い女の子たちも生き生きと楽しそうである。しかし、世界に目を移せば今も同じ目に遭っている女たちや馬たちが存在する事にハッとさせられる。そして私は物のように扱われた無数の命の上に生きている。
 痛みを知ること。その痛みを自分の痛みとして実感すること。金時鐘さんの作品や言葉に支えられて、私の制作の世界がある。
大槻 睦子


大槻 睦子 Otsuki Mutsuko

1956年 京都市に生まれる
1978年 京都市立芸術大学美術学部日本画科 卒業
1980年 京都市立芸術大学日本画専攻科 修了
1983年 奈良芸術短期大学日本画コース 勤務
2026年 奈良芸術短期大学 退任(43年にわたり指導)
創画会准会員

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